アフリカ難民ルイスさんの証言 3

Posted on: 2018年 11月 03日

アフリカ難民ルイスさんの証言
 3 ふたたび迫害のターゲットに

 1 虐殺を逃れて
 2 日本にたどりついたのに
 3 ふたたび迫害のターゲットに


 2012年、ルイスさんは、あるカメルーン人に商談の通訳を依頼されたが、その取引が実は詐欺だったため、無実であるのに警察に疑われ、逮捕されてしまう。彼は起訴されずに解放されたものの、警察による嘘と誘導のせいで、配偶者との関係が破綻してしまう。配偶者は警察に促され、第二子を堕胎し、ルイスさんの事業資金を勝手に持ち出して姿を消した(「私は入管と警察に家族を奪われた」ルイスさんの告発 3 を参照)。

 家族の喪失にくわえて、ルイスさんは仕事で客から預かった金を返せなくなり、さらには詐欺を実行した同郷出身者を警察に売ったとしてコミュニティから敵視されるようになった。それがあろうことか、アフリカの彼の家族、親族が命を奪われ、彼自身もまた脅迫されて犯罪の濡れ衣を着せられるという事態に発展してしまう。


密告者として非難される
 [49]中央アフリカの家族から私に電話がかかってくるようになりました。なんとしても客から預かった金を返してくれ、彼らは政権の関係者だと言うのです。[50]日本では、詐欺の実行犯の友人たちが私を脅しはじめ、詐欺の獲物になる別の日本人を紹介しろとか、金を出せとか言ってきました。彼らの名前を私が福岡県警に教えたからです。

 数日後に私は、在日カメルーン人の団体の代表を務めていた男性に呼び出され、彼らの名を取調中に警察にばらしたのか、私が彼らに出会った六本木の店も伝えたのかを尋ねてきました。私ははじめ否定しましたが、しかし男性は、警察が彼を訪れ、実行犯の友人たちの名を口に出し、店について尋ねてきたというのです。私は警察に情報を伝えたことを認めました。その結果、私の名が警察への密告者として、カメルーン人や他のアフリカ人のコミュニティの全体に伝わってしまいました。みなが私を、故郷とコミュニティにたいする裏切り者として罵りました。

 六本木を歩いていて、アフリカ人女性に傘で後頭部を殴られ、耳をひどく痛めたこともあります。[51]なぜ殴ったか女性に聞いたところ、彼女は詐欺実行者のガールフレンドで、彼が逮捕されカメルーンに送還されたことや、私が彼と出会った店は警察に監視されていることは私のせいであり、だから報いを受けねばならないと言うのです。他にも多くの人に脅され、あるいは殴られたので、私は界隈を離れました。数か月後、例の店は閉店していました。

 中央アフリカ共和国にいる友人が、私の中央アフリカの親族とカメルーンの親族との双方に圧力をかけはじめました。日本在住の友人が私の状況を説明し、弁護士が動いていることも伝えてくれましたが、彼は信用せず、私の親族を脅しつづけました。日本でも詐欺実行者の友人やコミュニティからの脅しは続き、そして弁護士は妻の行方を追跡できないままでした。

アフリカの家族・親族の虐殺

 2013年2月、中央アフリカの友人と他の人たちが、いよいよ注文した車や預けた金の返却を要求してきました。[52]同じころ、中央アフリカ政府が、私の親族を反乱勢力の支援者として非難しはじめます。私が彼らの預かった金を反乱勢力に資金として提供していたと主張したのです。私の親族は電話で助けを求めてきました。弁護士が動いているものの、警察の妨害のせいで訴訟に進めずにいるとしか私は説明できませんでした。

 2013年5月、親族が軍に連れ去られたという報せが届きました。親族の携帯に電話をかけても、誰も応答しません。フランスにいる血縁上の親族に電話をかけると、彼らが恐怖で慌てながら次のように説明しました。反乱勢力が中央アフリカ共和国の首都バンギを掌握した後、私の親族の多くが失踪した、後の情報によれば彼らを連れ去ったのは政府内にいた私の顧客の親族である、政府関係者は首都を放棄するさいに、多くの人々を殺していったのだと〔中央アフリカ共和国では同年3月24日、反乱勢力の同盟セレカが首都バンギを制圧し、8月には中央アフリカ共和国史上初のムスリム大統領ジョトディアの政権が発足した〕。

 このことを顧客に電話で尋ねると、顧客は事実を認めました。私は誰も裏切っていません。[53]しかし彼は、私が彼らの金を反乱勢力に提供したことの報いとして、私の親族を40人以上も殺したのだと言ったのです。

 さらには、中央アフリカとカメルーンの双方で、他の多くの親族が失踪しました。

続く敵視と脅迫
 私によって名前を警察に密告されたと考えた人たちが日本を離れました。その一方で、何らかの理由で日本に戻ってこられなくなる人もいて、そのなかには日本人女性とのあいだに子をもつカメルーンの議員もいました。駐日カメルーン大使館では、私の国籍問題をめぐって意見が割れました。ある者は私がカメルーン出身ではないと言い、ある者は私の親族はみなお尋ね者になっていて、私自身は中央アフリカ一帯のイスラム主義者を支援していると言います。

 日本のアフリカ人コミュニティにおける私にかんする風説は、フランスやカメルーンにも流され、私だけではなくフランスにいる私の両親をも苦しめました。私はすべての所持金を関係者に払い、フランスの両親も金を出してくれました。しかし彼らはもっと金を出せと言い、私が返すべき金額よりもさらに多くを要求してきました。

 悪魔のような日本の警察のせいで、私は結婚生活を壊されただけでなく、[54]アフリカにいた自分の家族や親族を虐殺されてしまったのです。警察の背後にいる人種差別的な政治家たちにたいして、私は無力です。私の弁護士も、このようなシステムにうんざりしていました。

詐欺の罪をなすりつけられ刑務所に
 カメルーンの議員と彼の日本およびフランス在住の仲間は、私や、フランスおよびカメルーンにいる私の家族・親族を脅しつづけました。私や私の家族・親族が解放されたいなら詐欺の獲物を見つけてこいと、彼らは私に言うのでした。私はやむをえず彼らを手伝うことにしました。

 2013年6月、私は仙台に待機させられ、その翌月に逮捕され、自分が犯していない罪で3年半も刑務所に入ることになりました。例のカメルーンの議員とその日本人のガールフレンドが仲間を使って、詐欺の被害者、目撃者など、すべてを仕組んだのです。

 私は事情を弁護士と警察に説明しようとしましたが、しかし弁護士〔東京で離婚の件を扱った弁護士とは別〕は、その話をすれば警察の追及はさらに厳しくなるから黙っていたほうがいいと助言してきました。起訴の後、警察はこの事件が嘘の証言にもとづいていると気づきます。取調官は私に、[55]弁護士の助言に従って取調中に黙っていたのは愚かだった、事実が何であれ警察が私を助けられる段階ではもうないと伝えました。私はみずから法廷で検察官にたいして弁明しなければなりませんでした。

 私が無罪を主張したので、裁判は1年2か月かかりました。控訴したものの結果は変わらず、3年6か月の実刑が確定し、実際には横浜刑務所に1年6か月入りました。

入管収容所で自殺を試みる
 2016年10月4日、私は刑務所を出ましたが、同じ日から私は茨城県の東日本入管センターに収容されつづけています。そこで私はふたたび難民申請をしました。

 今年6月14日、私は自殺を試みました。私を離婚に追い込み、私の第二子を堕胎させ、あらゆる人種差別的な行為を働いたこの国の政府機関が、私を難民として保護するなどとは信じられないからです。

おわりに
 日本政府がアフリカ人、アジア人など貧しい国の人々を嫌っているのは疑いようがありません。政府の職員が家族を引き裂き堕胎をさせてしまうのです。[56]入管は常習的に他の人種を憎み、日本人と異人種との結婚を引き裂くために、外国人の配偶者にたいする憎悪と偏見を日本人に植えつけているのです。

 この手記が多くの人に読まれ、もしどんな理由であれ日本の入管に収容されれば自分の身に何が起こりうるのかを知ってもらえれば幸いです。日本の公務員の人種差別的な行為について私が述べてきたことは、日本人には隠されていますが、すべての在日外国人コミュニティや駐日大使館、あるいは弁護士やボランティア団体が知っていることです。

 私の夢は娘に再会し、父親として彼女にできるかぎりの支援をすることです。しかし日本政府が私の権利の障害になっていると私は考えます。




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by p-dragon | 2018-11-03 09:23 | 個人のケース(証言・抗議)  

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