「ほっ」と。キャンペーン

<   2014年 12月 ( 2 )   > この月の画像一覧

 

11月に東京入管(品川)で被収容者が亡くなった件にかんする声明

11月22日、東京入国管理局(品川)に収容されていたスリランカ人の男性が死亡しました。

報道では、こう伝えられています。

男性は「先月〔11月〕中旬に来日したものの滞在を許可されず」東京入管に収容されていた。
22日には「朝から激しい胸の痛みを訴えたにもかかわらず、入管が医師の診察を受けさせるなどの対応を取っていなかった」。
ところが「午後1時ごろ」男性は「意識不明の状態で発見され、搬送された病院で死亡が確認され」た。

この事態について、東京入管は次のようにコメントしている。
「男性を一般の部屋から単独の部屋に移して職員が様子を確認していて、対応に不備はなかったと考えている。現時点では死因が特定されておらず、それ以上のことは申し上げられない」。

入管施設でまた収容の外国人が死亡(NHK NEWS WEB 12月1日)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141201/k10013633961000.html



上の記事にもあるように、今年3月には、東日本入管センター(牛久)で、別々の部屋に収容されていた2名の男性(イラン国籍とカメルーン国籍)が、一両日のあいだに立て続けに死亡するという、異常な事態が起きています。

そのさいの当局のコメントも、同様のものでした。
いわく、施設内の医師からは「重篤でない」と聞いていた。
「適正な救命措置を講じた」ので「処遇上の問題」はなかった。
「偶然にも不幸な事案が続けて発生した」だけだ、など。

くわえて思い出されるのは、メンバーが電話で問い合わせたさい、牛久入管の総務課職員が「私たちもびっくりしました」と、まったく他人ごとのように言い放ったことです。

3月31日記事 
4月6日記事+報道転載 

なぜ入管は、半年前も、今回も、臆面もなく「対応に問題はなかった」などと言うことができるのでしょうか?
痛み止めと睡眠薬と精神安定剤しか出さないヤブ医者を平日の午後に置いているだけで、他には誰も医療の専門家がいない、入国管理局が。



わたしたちとしては、半年前に言った同じことを、今回もくりかえすしかありません。

ひとつに、この事態を大半の関係者がとくに異常と思っていないことが、きわめて異常であるということ。
「学校であれ病院であれ、公的または準公的な機関で人が命を落とすことがあれば、当の機関じしんが記者会見などで事態を公的に説明し、少しでも責任があれば謝罪し、原因究明や再発防止を約束するはずですし、公権力による捜査や法的手続きを受けることになるはずです。入管がこの程度の報道だけで済まされ、公的に釈明することすらしていないという事態は、はっきり言って異常です」。

もうひとつに、ビザのない外国人を監禁することを目的とした施設で、人権を守るということが、根本的に矛盾した要請であること。
「もちろん、基本的人権を無視せずして、収容所のような施設を運営するなど、とうてい不可能なことです。人を狭い部屋に閉じ込めつづけながら、他のあらゆる自由や権利を保障することが、一体どうして可能になるのでしょうか。そもそも収容など、入国管理のためであろうが、してはならないことなのです。入管法を改定し、収容をなくさないかぎり、今後も入管収容所内は死者を作り出していくことでしょう」。

わずか半年で、こう書いたとおりになってしまいました。
暗たんたる心境にならざるをえません。



再発を防ぐためには、少なくとも、以下のような改革が必要です。

・被収容者が24時間365日、本人の判断のみによって、即時に緊急医療を受けられるようにすること。
・収容期間を数ヶ月以内に制限すること。

以上の条件が予算上保障できないなら、そもそも収容などしてはならないのです。



「外国人だから」「ビザがないから」などといって、人を抗弁の余地もなしに無期限に監禁するような制度を、わたしたちが当たり前と思うのだとすれば、そのような感覚こそが反人道的であり、このような死者を作り出す根本原因に他なりません。

そのような感覚が間違っていると認めるならば、入管収容の廃止が、論理的にも道徳的にも当然の結論であるはずです。

したがって私たちは、入管収容の廃止を訴えます。



2014年12月5日

SYI(収容者友人有志一同)
[PR]

by p-dragon | 2014-12-05 17:02 | 声明・情報・考察  

SYI移民・難民交流会 第3回 終わりました


食べよう! 学ぼう! SYI移民・難民交流会
第3回 コロンビア難民の話
SYI's Learning Café with a Colombian Refugee

2014年11月23日(日)  万世橋区民会館・調理室

告知

「編む夢日記」報告


芋のようなホクホクした青バナナの入った、南米風シチュー「エストファド」をいっしょに作り、食べながら、コロンビア難民Cさんのお話を伺いました。

Cさんが来日してから、およそ20年がたちますが、入管当局は彼の難民認定どころか正規の在留すら認めていません。
ですが、故郷の家族を思い涙を流しながらも、帰国すれば彼の生命の安全は保証されないのです。
SYIは今後もCさんに協力していきます。

Cさん、ありがとうございました!

e0188516_937760.jpg


参考までに、会場で配布した資料です。

【コロンビア共和国の歴史】

1819年 コロンビア共和国(大コロンビアGran Colombia)がスペインから独立(現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマの全域と、ガイアナ、ブラジル、ペルーの一部)。大統領はシモン・ボリーバル(Simón Bolívar)。

1830年 大コロンビア解体。ヌエバ・グラナダ(Nueva Granada)が共和国として独立。1858年、連邦制を採用。1861年にはコロンビア合衆国(Estados Unidos de Colombia)、1886年にはコロンビア共和国(República de Colombia)へ。
→ 1840年代にコーヒー栽培が開始。
→ 1848年、連邦主義急進派が自由党を結成。おもな支持者は商人、職人、新興企業家、農民など。1849年、連邦主義穏健派と中央集権派が同盟して保守党を結成。おもな支持者は貴族、大地主、教会など。これらがコロンビアの二大政党に。

1899年 千日戦争(Guerra de los Mil Días、1902年まで)。保守党政権にたいする自由党の武装蜂起をきっかけに。約10万人の犠牲者。
→ パナマ運河の権益を狙うアメリカ合衆国が介入、パナマ地域の独立派を援助し、1903年にパナマ共和国がコロンビアから独立。 

1948年 暴力時代(la Violencia)のはじまり。1946年成立の保守党政権が、暴力による反対派の弾圧を拡大。1948年、自由党党首で大統領候補だったガイタン(Jorge Gaitán)が選挙直前に暗殺されたことをきっかけに、市民が激しく衝突し、ボゴタ暴動が発生。
→ 軍事政権: 1953年、ロハス将軍(Rojas)がクーデターで政権に就く。自由党、保守党に代わる第三勢力を確立しようとしたことで、支配層の反感を買い、1957年に再度クーデターが起こる。一年の軍政のあと、自由党と保守党が「国民戦線」(Frente Nacional)協定のもとで政権を四年ごとに交代する時代に(協定は1974年まで)。

1966年 コロンビア革命軍(FARC) が結成。その後、民族解放軍(ELN)、解放人民軍(EPL)、「4月19日」運動(M-19)が次々と組織される。
→ 二大政党の寡頭支配を覆すために、武装路線へ。1970年代末にはゲリラ闘争が激化。
→ 1984年 保守党政権が、左翼ゲリラとの和平交渉へ。1985年にはFARCが議会進出のため愛国同盟(UP)を創設。しかしUPの議員や関係者が次々に暗殺。和平交渉は決裂へ。
→ 1980年代には米国が、パナマやコロンビア等での麻薬取締・ゲリラ弾圧への介入を開始。
→ 2012年から政府とFARCとの和平交渉がはじまったが、中断と再開を繰り返す。最近では11月18日に陸軍大将を拘束し、交渉再開を要求。

1970年代 コカイン産業の発達。
→ コカ(大麻)栽培そのものは先住民の伝統。コカインの精製と密売は、1970年代からはじまる。メデジン・カルテルやカリ・カルテルなど、麻薬マフィアが成長。麻薬マネーが政界や行政、公権力にも浸透し、政治腐敗へ。
→ FARCなど左翼ゲリラも、南部の自治地域での支持を保つため、地元のコカ栽培を撲滅できず、やがてコカイン産業を資金源にするようになる。
→ M-19による誘拐(金持ちから誘拐で得る身代金もゲリラ闘争の資金源に)が、麻薬マフィアのメデジン・カルテルにも及んだことをきっかけに、メデジン・カルテルは、身辺警護や暗殺を担う独自の武闘集団を組織。 

1989年 麻薬戦争。麻薬規制の強化を訴える大統領候補ガラン(Luis Carlos Galán)が、選挙中に暗殺。自由党政権が麻薬対策を本格化させる。政界有力者や反対派指導者の暗殺も相次ぐ。
→ 1991年、メデジン・カルテルのエスコバル(Escobar)が自首。専用刑務所からカルテルの指揮をとったが、その後脱走し、1993年に潜伏先で特殊部隊により殺害。

1997年 コロンビア自衛軍連合(AUC)が結成。地方の右翼民兵(paramilitares)を束ねる上部組織。
→ 地主などの地方ボスが擁する私兵集団は、1940年代の「暴力時代」から存在。ゲリラ闘争の時代に、反ゲリラの私的暴力として活発化。

2002年 アルバロ・ウリベ大統領が就任(2期、2010年まで)。強権的な治安政策(Plan Colombia)を進める。
→ 左翼ゲリラも麻薬マフィアの武装部隊も、「テロ対策」の名目で弾圧。
→ 治安部隊は米国の軍事的後援や訓練を受ける。
→ 右翼民兵(パラミリターレス)には寛容で、2005年には「公正・平和法」を公布し、恩赦を前提とした民兵の武装解除を進める。しかし、Human Rights Watchなどの調べによれば、2010年ごろから民兵はふたたび活発化。


《参考文献》
二村久則(編著)『コロンビアを知るための60章』明石書店、2011年
伊高浩昭『コロンビア内戦 ゲリラと麻薬と殺戮と』論創社、2003年
[PR]

by p-dragon | 2014-12-02 09:45 | アクション報告