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【論考】入管「収容代替措置」(ATD)とは何か、何となりうるか

入管「収容代替措置」(ATD)とは何か、何となりうるか

2011年11月21日
柏崎正憲(SYI・収容者友人有志一同)
k48zk@riseup.net


要約

 日弁連およびUNHCR主催による2011年10月15日シンポジウムは、日本への「収容代替措置」(ATD)の導入に向けたとりくみがはじまっていることを公にした。このとりくみは、日本の極度に非人道的な入管行政を改善するための重要な転機となりうるものであり、注目すべきである。このATDをその理念どおりに反映するならば、日本の入管行政における「全件収容主義」という前提は、根本からくつがえされずにはいられないだろう。ATDの理念はまた、非正規滞在者の滞在の正規化をも迫るものである。その実際の導入にあたっては、「日本に特有の事情」などといった、法務省おきまりの逃げ口上を許さないことが重要になると思われる。ところで、日本の入管が有しているこのうえなく大きな独自判断の権限は、大日本帝国期の植民地政策に根をもっている。だとすれば、日本の入管行政の問題を、日本の未解決の戦後責任問題のひとつとしても世論化していくべきだろう。また、移民・難民じしんによる反対運動とも連携していくべきだろう。


もくじ

0. はじめに
1. 収容代替措置をめぐる動向
2. 収容代替措置の前提──全件収容主義こそ不法
3. 入管の反応──全件収容主義は変わるか
4. 在留の正規化はどうなるか
5. 歴史的に見た日本の入管問題──未解決の戦後責任問題として
6. おわりに



0. はじめに

 2011年10月15日、日本弁護士連合会(日弁連)および国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の主催により、シンポジウム「入管収容の収容代替措置を考える~外国人の収容を回避するために」(於・弁護士会館講堂
)が開かれた(以下「シンポジウム」と略記)。「収容代替措置」とは聞きなれないことばだが、英語ではATD: Alternatives to Detentionで、ようするに収容をなしで済まそうということだ。この収容代替措置に向けたとりくみは、国際的には、2000年代中盤からはじまっていたようである。この用語をもっともはやく使ったのは、筆者の調べたかぎりでは、2006年にUNHCRが出した文書であった(Alternatives to Detention of Asylum Seekers and Refugees)。この新たな政策動向を日本にも導入するために、その本格的な出発点として、このシンポジウムが設定されたということだと思われる。

 シンポジウムで紹介された収容代替措置(ATD)の基本理念は、日本の極度に非人道的な入管行政を改善するための重要な転機となりうると感じさせるものであった。また、おもに難民申請者を念頭に構想されているとしても、ATDの理念は移民一般の権利保障の向上にも貢献しうるように思われた。したがってまずは、ATDが日本の入管行政のなにをどのように改善しうるかを、シンポジウムでの発言や、UNHCRおよび国際拘禁連盟の文書をもとに考察していきたい。そのうえで、このATDの導入をより実りの多いものとするために、わたしが必要だと考える点を説明したい。


1. 収容代替措置をめぐる動向

 国際的レベルで収容代替措置(ATD)を推進しているのは、UNHCRおよび、オーストラリアのメルボルンに本部をもつ国際非営利活動団体「国際拘禁連盟」(IDC: International Detention Coalition)である。IDCの正式発足は2006年とのことだが、その基盤となるネットワークは2003年からじょじょに作られていたようだ(http://idcoalition.org/wp-content/uploads/2008/12/idchistory.pdf)。収容の撤廃や制限、ATDの発展や推進、収容施設の状態改善および監視を、IDCはおもな目標として掲げている(http://idcoalition.org/aboutus)。シンポジウムの前日(14日)にはATDを促進するためのワークショップも開かれたようで、その報告はすでにIDCのウェブページにアップされている (http://idcoalition.org/expanding-alternatives-to-immigration-detention-in-japan)。

 IDCの日本政府へのはたらきかけは去年からはじまっていたようだ。2010年4月に韓国・ソウルで開かれた「東アジアATDラウンドテーブル」を受けて、日本政府は未成年者の収容を解除したとされている(en.wikipedia: International Detention Coalition)。

 日本でのATD導入の推進主体として、UNHCRおよび日弁連のほか、難民・移民関連の諸NGOからなるネットワーク組織「なんみんフォーラム」(FRJ: Forum for Refugees Japan)も加わっている。構成団体そのものは従来から日本で活動してきたものだが、このネットワークそのものは「難民条約から60周年、日本が難民条約に加入して30年」であることしに設立されたようである。設立のタイミングからして、このネットワークはおそらくATDの日本導入への基盤を意図していると思われる。


2. 収容代替措置の前提──全件収容主義こそ不法

 さて、本題は収容代替措置(ATD)の中身である。シンポジウムにおいてIDC代表のグラント・ミッチェルさんは、ATD導入の前提と基本モデルを説明した。もちろん前提となるのは、入管収容がひきおこす一連の問題だ。とはいえこの点については、SYIもまた日本の事例について具体的に紹介してきたので、ここでは詳述しない(ブログ内「SYI・5つの要求」「入管内からの声」を参照)。

 ミッチェルさんが説明したところによれば、ATDを実現するための基本となるのは、コミュニティ評価・斡旋(CAP: Community Assessment and Placement)モデルである(シンポジウム資料では「コミュニティ評価・居住」モデルと訳されていた)。このモデルは、なにより「収容は不要」という前提に立って構築されねばならない。そのうえで、最初の段階としては個別の事情を「スクリーニング」する。つまり、個々の移民・難民の年齢、健康状態、その他のさまざまな事情を吟味する。つぎに、「コミュニティの評価」すなわち、地域社会のなかで暮らしていくうえで、それぞれの事情にそくした適切な環境が整っているかどうかの評価をおこなう。それらの段階をふまえたうえで、必要に応じて、居住に条件を課す(当事者の制約、監督、条件不順守への否定的結果、等)。以上のような段階を踏むことによって、収容は「例外的」な「最終手段」に限定されねばならない。収容を最小限なものとすることの意義は、移民・難民の人権という観点からだけでなく、入管行政における必要性の観点からも強調されていた。ミッチェルさんはオーストラリアなどでの実績を挙げながら、収容なくしても、政府が求める協力(在留資格の審査にかかわる)は高い割合で得られると主張していた。

 より重要と思われたのは、諸国へのATD導入の後押しを意図して発行されたであろう、2011年にUNHCRが発行した文書『基本に戻る 人格の自由および安全保障の権利と、難民、難民申請者、無国籍者、その他の移民への「収容代替措置」』(BTB: Back to Basics: The Right to Liberty and Security of Person and 'Alternatives to Detention' of Refugees, Asylum-Seekers, Stateless Persons and Other Migrants)である(この文書の仮訳はシンポジウム資料に含まれていた)。というのもこの文書は、収容をなるべく不要なものとするための義務を国家が負っているということを、国際法の観点から強調しているからだ。

 まず、難民申請者や難民の収容は、最終手段でなくてはならない。この立場は「難民は不法な入国または滞在を理由に処罰されてはならないことを確立する、国際法の一般原則にもとづくものである。また、非正規移民の文脈においてすらも、密入国業者の利用をつうじて非合法に移動する選択をした移民を訴追するべきではないという、一般的見解が存在する」。また「各個人を収容する必要性についての評価基準」が「体系化」されねばならない。つまり、その適用の根拠が誰にとっても明らかとなるような体系的な基準が設定されねばならない。ただし、たんに体系的であればいいというわけでもない。恣意的であることを避けるために、この基準は同時に「均衡性」(proportionality)の原則にそくしている必要がある。つまり、目的と手段との釣り合いがとれていなければならず、手段が目的に比して行き過ぎてはならない。したがって、「全件収容〔mandatory detention〕や、収容に有利な仮定をもちこむことは、これにもとづいて〔国際法上〕不法と判断されている」(BTB, p. 21f.)。また、収容の恣意性を防ぐためには、収容の「最長期間の設定」が必要であることも指摘されている(p. 24)。

 文書『基本に戻る』ではさらに、収容代替措置を設けることが、国家の「積極的義務」であることを確認している。収容は、どうしても必要な場合にのみ、合理的な理由によって、かつ目的にたいする均衡性の限度内でしか、実行されてはならない。したがって、「かわりの選択肢が存在しない」という理由だけで「個人を拘禁すること」は、「国際的義務の実行にたいする背信」であり「国際法に抵触しうる」(BTB, p. 26)。

 要するに、たんに収容が不要だというだけでなく、いま日本の入管がおこなっているようなかたちでの収容の執行は、国際法からみて不法ですらあるのだ。このような前提に立ってATDが日本にも導入されるならば、それは、いまだ原則的には全件収容主義である日本の現行の入管行政の根本的変更につながりうるだろう。


3. 入管の反応──全件収容主義は変わるか

 入管側からシンポジウムに登壇していたのは、入管総務課・難民認定室長の北村晃彦さんだった(かれは6月の国連大シンポなどにも登壇している)。北村さんが述べた入管側の見解は、おおよそつぎのようなものであった。2005年(平成17年)における「仮滞在」制度の導入をもって、難民申請者の権利は保障されている。問題なのはこの制度が実際にどう運用されているかでしかない。入管が収容によって難民認定を妨害していると思われるとしたら筋違いである。収容されたあとで難民申請をする者がいるが、そういう者をすぐに仮放免できないので、結果として難民申請者が収容されているだけだ。

 北村さん(=入管)からしてみれば、恣意的に収容しているという意識はみじんもないということだろう。なぜなら、在留資格がないというだけで、だれでも自動的かつ無期限に収容するというのが、いまもかわらない入管の原則だからだ。そのうえで、いくつかの例外、しかも個別の事情よりも入管の基準や都合によって判断される例外においては、収容せず仮放免しているというのが、実際の入管の基本的な姿勢である。いわゆるこの「全件収容主義」は、収容代替措置(ATD)の理念における「収容は不要」という前提とは対極のものである。この原則そのものの廃棄が問題にされているとは、北村さん(=入管)はまったく考えてもいないというのが、わたしが北村さんの一連の発言から受けた印象であった。

 仮滞在制度ひとつとっても、いくつも問題があり、これをATDと見なすにはあまりに不十分である。法律によれば、これが適用されるのは、「当該外国人が本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては、その事実を知った日)から6か月以内に難民認定申請を行ったものであるとき又は難民条約上の迫害を受けるおそれのあった領域から直接本邦に入ったものであるときなどの一定の要件」を満たした難民申請者である。この「6か月以内」の申請や「直接本邦に入った」事実といった要件は、なぜ必要なのか。また、「など」とされているほかの条件とは具体的にはどんなものか。そういったことは申請当事者には知らされない。これでは、「こういう要件を満たさなければあなたを正当な難民申請者として認めない」と、あらかじめ日本政府がハードルを作り出しているも同然である。ところがATDの理念によれば、なによりまず当事者の個別的事情(難民としての状況のみならず健康やそのほかの属性)が配慮されねばならない。したがって、現行の仮滞在制度は、その運用のみならず原理においても、ATDの理念を反映しているものとは決して言えないだろう。

 たとえ仮滞在の資格が与えられたとしても、就労は禁止される。そもそも難民とは公用などで来たのではなく逃げてきたのであって、申請期間中であれ生活の糧をかせがなければ生きていけないのに。たしかに、外務省傘下の「アジア福祉教育財団難民事業本部」(RHQ)が、一種の生活保護費を難民申請者に給付している。しかしながら、これを受けることの基準は公開されず、一度給付がはじまった家族が不条理な理由でとつぜん支給を打ちきられ困窮するというできごとが、あとを絶たない(たとえば「チェチェンニュース #367 難民支援に外部の目を」を参照)。これでは、難民申請者は不法な条件のもとで労働せざるをえないだろう。難民が生活のためにはたらくことを、つまり生きることそのものを、入管は「不法」化しているのである。これもまた、仮滞在制度がATDとは見なせない理由のひとつだと言えよう。

 日本の現行の入管制度が難民申請者にたいして与えている負荷をとりのぞくことなしに、ATDの適切な導入はありえないだろう。そもそも、難民が日本でどのように申請をすればいいかのじゅうぶんな広報や、難民に負荷のかからない申請の環境の準備は、難民条約を結んでいる日本政府の義務であるはずだ。その義務を果たすこともなしに、「収容されてから難民申請する者がいる」などと発言する北村さん(=入管)は、ATDの理念をまったく理解して(あるいは、しようとして)いないと言わざるをえない。

 この点にかんして、いま日弁連がとりくんでいるという、空港での難民申請の制度的改善は、ひとつの重要なポイントであろう。シンポジウムでの渡邊彰悟さん(日弁連人権擁護委員会・難民認定問題特別部会長)の発言によれば、現行の空港申請制度は、入管の判断による即時の収容や強制退去が背後に控えていて、難民へのプレッシャーとなっており、それが空港申請の数の低さにつながっている。実際、たとえば2006年の難民申請者954人にたいして、空港申請は成田で99人、国際空港全体で119人となっている(参照:難民支援協会 http://www.refugee.or.jp/jar/topics/other/2008/09/19-1900.shtml、全国難民弁護団連絡会議 http://www.jlnr.jp/stat/kuukou.html)。このような空港申請制度の改善もまた、ATD導入に関連する制度変革の必要不可欠な一部である。


4. 在留の正規化はどうなるか

 かりに収容を例外的措置へと追いやることに成功したとしても、在留の正規化をどのように進めていくのかという問題がある。いわゆるオーバーステイの移民は、日本では、たとえ5年や10年以上なんの問題もなく滞在していたとしても、在留資格を得るのは難しいという事実がある。難民であっても、難民認定の絶対数も比率もほかの難民条約締結国とくらべてあまりに低い日本では、あまり状況は変わらない。大多数の申請者は、その難民性の高さに関係なく、一年以上の申請期間のすえに不許可を通告され、退去強制を発令されるというのが現状である。こうした状況が変わらないままでは、収容だけなくなっても、多くの移民・難民が非正規滞在の状態に留めおかれることになる。

 シンポジウムでの日弁連の渡邊さんは、「大きな」または「広い意味での」収容代替措置(ATD)についても論じていた。ATDが非正規滞在者の定住認定を含んでいることを、かれは主張していた。わたしもおおいに賛成である。いつまでたっても正規化されないとすれば、非正規滞在者はたとえ何年日本に暮らしていても、いつかは収容されうるのである。だとすればATDには、収容されねばならない人を作り出さないようにする政府の積極的努力が含まれねばならないだろう。長期の非正規滞在者の在留を正規化していくことは、ATDの一環である。


5. 歴史的に見た日本の入管問題──未解決の戦後責任問題として

 収容代替措置(ATD)の導入に向けた日弁連やUNHCRやNGOの交渉にたいして、法務省および入管は、さまざまな局面で抵抗してくるだろう(交渉当事者のかたがたはすでにそのような抵抗を感じているのではないかと思われる)。すでに見たように、ATDの日本導入の動きは、国際的な動向の日本への反映というかたちをとっている。そのこと自体になにか問題があるわけではない。しかしながら、法務省・入管が「日本に特有の事情」などといった口実によってこの「国際的な動向」を骨抜きにしようとすることも、おおいに予想できる。

 他国の入管政策と日本のそれとのあいだに、類似する点は多くある。たとえばオーストラリアでは1992年から全件収容主義(mandatory detention)が公式に採用されている。近年のヨーロッパ諸国でも、移民・難民にたいする規制が厳格化していることも周知のとおりだ。だがそれでも、日本の入管制度の閉鎖性や排外性は、他国の近年の傾向とは根本的に異なるところがあると言わざるをえない。ことし7月のノルウェーでのテロ実行者である右翼青年アンネシュ・ブレイビクは、日本を「多文化主義を拒否している国」として理想視していた。もっとまえから、たとえばフランスの極右政党・国民戦線は、フランスの国籍法を「日本なみ」に変えたいだけだと公言してきた(たとえば移住連・岡本雅享さんの記事を参照)。このように他国の極右に理想視される日本の入管政策とは、いったいなんなのか。その特殊性を適切に問題化する必要がある。

 とはいえ、日本人の(擬似)文化的な特殊性などといったことは関係ない。その特殊性の根幹は政治的なものである。つまり、大日本帝国期の植民地政策に由来するものである。戦前の日本は、植民地化した朝鮮や台湾の人びとを「皇国臣民」として天皇制にとりこもうとした。そのため、植民地住民の渡日を規制する法的根拠はまったくなかった。現実には、土地の所有関係を日本人植民者のために作り変えた結果として、とくに朝鮮の農民が生活手段を失い、職を求めて日本に渡る傾向が強まった。これにたいして日本は、治安維持などといった口実によって、しかも立法ではなく「内鮮協定」などといった約束によって、朝鮮人の渡日は厳しく管理された。1945年の敗戦後、日本は旧植民地を公式に放棄することを決定するまえに、1947年の外国人登録令(最後の勅令)によって、日本列島内の旧植民地出身者を外国人と「みなす」ことを決定した。とりわけ、台湾出身者とは異なり「解放国民」として扱われなかった在日朝鮮人は、それによってさまざまな権利を奪われ、治安弾圧の対象となった。1950年には出入国管理庁が設置され、51年には出入国管理令が発令される。木元茂夫は、現在の入管の前身である出入国管理庁が、「朝鮮戦争の勃発に対応した戦時入国管理体制として発足した」ものである点に、つまり戦火を逃れてきた朝鮮人難民たちを排除するために置かれたものである点に、注意を促している(入管問題調査会編『密室の人権侵害』現代人文社、83頁)。1952年には、サンフランシスコ条約発効によって、旧植民地出身者は正式に日本国籍を離脱したと見なされた。ところが同条約内には、旧植民地出身者の日本国籍離脱にかんする明文規定はない。実は法律ではなく通達によって、すなわち、同条約発効直前の法務府民事局長通達「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」によって、旧植民地出身者の日本国籍は一方的に剥奪されたのである。

 以上のような日本の植民地政策および「脱」植民地政策において一貫しているのは、法的な根拠をともなわない関係当局の専断によって、旧植民地出身者とりわけ朝鮮人の地位が、政府に都合よく操作されてきたということである。このようなとことん植民地主義的な「外国人」管理政策の延長線上に、今日の入国管理局があるわけだ。1965年の池上努(法務省参事官)による「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」という発言に象徴される入管の精神は、いまも生きているわけである。1981年に難民条約を締結したときにも、日本は難民認定法を入国管理法とセットにした。その結果が今日の難民認定の実態であることは、移民・難民の支援者には周知のとおりである。1980年代以降に増加した移民労働者も、入管は従来どおりの「煮て食おうと焼いて食おうと自由」という姿勢で扱った。収容所内で振るわれてきたおぞましいまでの暴力が、1994年に元入管職員が内部告発に踏みきるまで、世論の注目をほとんど受けてこなかったことも、周知のとおりである。

 要するに、日本は戦前からずっと、法的根拠すらもたないような専断的な「外国人」管理政策をとりつづけてきたのである。日本の入管行政の特殊性とは、まさにこのことである。だとすれば、日本の入管行政の問題とは、日本の未解決の戦後責任問題のひとつとしてもとりくまれねばならないだろう。そのような入管問題へのアプローチは過去にまったくなかったわけではないが(1970年前後の入管法案反対運動)、しかし継続することなく収束してしまった。解決されなかった過去の問題が今日まで続いているのである。したがって、これから少なからず活発化するであろうATD導入が、人権問題一般としてのみならず、現在まで続く日本人の負の歴史を清算にもかかわる問題であると、わたしは考える。入管の専断を許してしまっているのは、けっきょくのところ日本人なのだから。


6. おわりに

 シンポジウムで石井宏明さん(なんみんフォーラム副代表)さんは、法務省・入管とNGOとの「信頼」と「協力」を呼びかけていた。その意味はわたしにも分からないわけではない。国際拘禁連盟は、収容代替措置(ATD)導入のためには、移民・難民の地域コミュニティ定着に協力する市民運動が重要であることを強調していた。上からの専断に対抗する下からのイニシアティヴが必要であることは、一般論としてわたしも賛同する。ATD導入を当局に現実的なものと思わせなければいけないということもわかる。だが、これは言うまでもないことなのかもしれないが、「信頼」と「協力」の相手とは、なによりもまず移民・難民ではないだろうか。

 2010年5月の東日本入管センターでのハンストをきっかけとして、仮放免状態にある移民・難民が「仮放免者の会」(PRAJ)として団結し、入管当局に抗議や要請をつづけている(http://praj-praj.blogspot.com)。2010年3月に強制送還中に命を奪われたアブバカル・アウドゥ・スラジュさんの妻とAPFSは、かれの死の責任追及のために、2011年8月から国賠訴訟に踏みきっている(http://apfs.jp/report20110805_1387.php)。たとえばこうしたとりくみこそが、日本の入管の抑圧的・閉鎖的な体質をゆるがすためのもっとも重要な底力となるだろう。ATD導入の運動がこうしたとりくみとも連携するものになっていくのがより望ましいだろうし、そのためにわたしも微力ながら貢献していきたいと考えている。
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by p-dragon | 2011-11-21 20:09 | 声明・情報・考察  

第20回 SYI行動 入管への抗議と収容者への激励 報告

2011年11月7日(月)

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第20回 SYI行動 入管への抗議と収容者への激励
2011年11月7日(月)
情宣・ビラ配り  品川駅 港南口   12時~
抗議・激励 東京入国管理局前 13時~(1時間)

告知

だい20かい SYIこうどう にゅううかんへの こうぎと しゅうようしゃへの げきれい
2011ねん11がつ7にち(げつ)
じょうせん・ビラくばり  しながわえき こうなんぐち 12じ~
こうぎ・げきれい とうきょう にゅうこく かんりきょく まえ 13じ~(1じかん)

こくち
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by p-dragon | 2011-11-07 15:45 | アクション報告