難民を脅威と見なす難民研究者 墓田桂『難民問題』の批判的検討(1)

難民を脅威と見なす難民研究者
――墓田桂『難民問題』の批判的検討(1)


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墓田は難民が受入国を脅かすと主張している。しかしそれは中立的、客観的な調査をつうじた結論ではなく、人の移動それ自体が国家への侵害だという先入観から、現実の一部だけを切り取って、不当に誇張することにより支えられた意見である。このような意見は、結局のところ極右の移民排斥論を補強するものだ。それは道徳的に問題であるだけでなく、難民問題の根本的な解決にも決してならない。


 墓田の議論の特徴は、難民政策において国家が認識すべきとされる「善意の限界」を強調する点にある。「社会の安寧や限られた財源といった問題を考えるとき、国民が示せる善意には限界がある」(223頁)。たしかに難民保護の意欲と能力とは別であり、そして受入国の財政能力は無限ではないだろう。それだけでなく、無差別攻撃や人身取引などに関与する越境者や、生活習慣や規範をめぐる移住者と市民との摩擦といった、対処すべき課題が生じるのも事実だ。しかし、次の点には注意しなければならない。受入国がこうむる負担を、越境者の保護に付随する課題と考えるのか、それとも、越境者によってもたらされる災難と見なすのか。これらは必ずしも同じことではない。そして墓田にとっては、人の移動それ自体が国家にたいする一種の侵害行為であるようだ。彼いわく、現代は「越境する人が安全保障上の脅威となりうる時代である」(230頁)。

 なぜ「越境する人」を墓田は危険視するのか。彼が挙げるのは「混合移動」の問題、つまり「難民」と「移民」が混ざっていることである。もっとも彼は、難民が移住先での生活条件を考慮して目的地を選んではいけない(そうする者はニセ難民だ)と言っているわけではなく、「同一人物が難民性と移民性を併せ持つ」ことを認めている。だが彼は、多種多様な越境者のなかに「シリア人になりすます」者や「戦争犯罪やテロとの接点をもつ非正規移動者」が紛れ込むことを問題視する。彼は「有象無象」という言葉まで使って、罪のない越境者と危険な越境者とを区別できないことを強調している(90-92頁)。しかしながら、難民ではない者として、移民と「戦争犯罪やテロ」の関係者とを同列に扱うことは不当ではないか。「戦争犯罪やテロ」という名目において、越境者全体を一律に危険視することが許されていいのだろうか。

 だが実のところ「戦争犯罪やテロ」は主張な問題ではない。墓田にはどんなことでも、難民の群れが脅威であるという印象の材料にしかならないようだ。彼は「移動者が残したペットボトルや丸めた紙、毛布やコート」の散乱を挙げ、難民の通過地となった街や村が「深刻」な「喧噪や荒廃」に見舞われていると嘆く(106-107頁)。「荒廃」とは、まるで難民が畑を荒らすイナゴの大群のようだとでも言わんばかりだ。住み家を求めてさまよう人々には、指定されたゴミ捨て場もないということくらい想像がつかないのだろうか。帰る場所のない人たちに、ゴミの持ち帰りのマナーを説教すべきというのか。まったくもって良識的で立派な難民研究者である。

 それだけではない。墓田にとっては、難民を保護することは社会的公正に反することでもあるらしい。彼は2016年5月にギリシャを視察したようだが、その報告は、彼の学者としての能力とセンスを疑わせる記述に満ちている。いわく、アテネ中心部の高級住宅地だった地区は、いまや「街は荒廃し、今では南アジアの雰囲気の漂う移民街」になっているとのことだ(109頁)。ここでも彼は、移民・難民が「荒廃」の原因だと決めつけているが、土地価格の低下と欧州危機による経済停滞との関連性については思い至らなかったのだろうか。

 次のようなくだりもある。非正規上陸者の収容施設がある港では、別のところに「ギリシャ人の路上生活者」もいたが「難民支援に携わるNGOからは見放されたようだった」と感想を記している。すぐさま彼は「むろん非正規移動者はこれを理由に責められるべきではない」とつけ加えてもいる(110頁)。だがどんな言い訳をつけても、福祉の不足と難民保護とを結びつける言論は移民排斥論を助長するものでしかない。外国人排斥の共鳴者のなかに国の福祉削減に不満をもつ市民もいるということは、状況分析としては正しいだろう。だがそうだからといって、あたかも難民保護のせいで福祉がおろそかにされているかのように言うことはできない。福祉削減の要因は、市場の景気変動がもたらす圧力であり、市場競争を促そうとする政策転換である。雇用という点にかんしても、現在の先進諸国は国内に不足している労働力(いわゆる高度人材や、逆に市民に避けられがちな労働部門)を選別的に導入しているので、その道徳的な当否は別として、国内労働者と移民の競合という主張は正しくない。こうした点を無視するかぎり、移民や難民が福祉(あるいは雇用)を市民から奪うという排外主義者の常套句を補強することにしかならない。

 これまでの筆者の記事では、どれだけ移民や難民が安全を脅かされているか、それも出身国ではなく欧州の排除的な国境政策によっても脅かされているかを説明してきた。だがそのことを墓田は一切問題にしない。それどころか、軍事同盟であるNATOが「密航対策」の名目で地中海をわたる難民の監視・取締に適用されるという2016年2月の決定を、妥当な施策として紹介している(153-154頁)。

 要するに、墓田はすべてにおいて、難民は受入国にとって災難であり脅威であるという先入観に立ってものを見ており、この先入観に収まらない現実を切り捨てている。だからこそ彼はためらうことなく、難民は安全保障上の脅威だと断言できるのである。「国家の安全保障」、市民にとっての「人間の安全保障」、「経済の安全保障」、「環境の安全保障」など、受入国のあらゆる種類の安全を難民が脅かすと言うのである(133-134頁)。さらには「排斥」や「拒絶」は一概に不道徳な実践ではなく、入学試験で不合格者を排除するように「優れて人間的な営為」でもあると、問題を抽象化して開き直ってすらみせている(147頁)。学者風の専門用語がそう見えにくくさせているかもしれないが、墓田の議論は徹底して、移民排斥論を補強するものでしかない。


【補足】

 他方で、外国人により市民が傷つけられる事件が実際に発生することについては、以前の連載のなかで取り上げるつもりだったが、まだ触れていなかった。たとえその種の事件が実際に起きたとしても、移民や難民を一括りに脅威と見なすことは許容できない。これについて指摘すべき点は二つある。

 第一に、とくにいわゆるテロ事件(無差別攻撃)について言えることだが、それをまったくの外部から舞い込んできた災難として捉えることの不正確さ。2015年から2016年にかけて、フランス、ドイツ、ベルギーで無差別攻撃が起きたが、それらは2016年12月のベルリンでのトラック攻撃を除いて、欧州出身者が単独でか、グループの中心となって実行した事件だった。いわゆるホームグロウン・テロである。これはテロの要因が欧州内部にもあることを示している。そのことを深く考えずに、新規入国者を一概に危険視することは、まず状況認識として誤っている。

 またそもそも、欧州への攻撃を過激主義者が扇動するのも、中東やアフリカにたいする欧米諸国の干渉や戦争(過去のではなく、現在も継続中の)が理由であって、まったくいわれのない暴力ではない。過激主義者の行為がどれだけ残虐であるとしても、というより残虐であるほどに、グローバル化の中心にいる集団と周辺に追いやられている集団との力の不均衡を、象徴的に埋め合わせようとする、それは絶望的な復讐劇なのである。グローバルな不均衡と不平等の真の解決にむけた国際的な取り組みがはじまらないかぎり、人をテロリズムに共感させる回路を断つことはできない。テロリストにいくら恐怖と憎しみを募らせても、問題は解決しないのである。

 第二に、特定の事件を全体としての移民・難民に結びつけることの問題。いわゆるテロ事件の他にも、ドイツやスウェーデンでは、北アフリカ出身者の集団による女性への暴行・嫌がらせの事件や、難民申請者による強かんや殺人などが起きている。こうした事件は移民排斥の風潮をますます煽った。これについてまず言うべきは、犯罪を法的に裁かねばならないからといって、特定の出身地や人種などを犯罪に結びつけることは正当化できないということだ。だが今日では、排斥論者はあからさまな人種的偏見よりも、政府が外国人から市民を守れなかったという失態を強調するだろう(墓田もこのスタンスだ)。この論点には、確信犯的な人種差別論者でない人にも受け入れられやすい。

 たしかに結果論として、こうした罪を犯した人々が入国していなければ、事件は起きなかったのだろう。だがそうしなかったのが問題だとしても、誰が一般犯罪を犯すかを入国前に判別することなどできないのだから、外国人の犯罪が嫌なら、国境を完全にシャットアウトするしかない。だが国や政府の責任については別の考え方もある。新たな移住者とのあいだに、同じ社会にくらす隣人としての連帯意識を少しでも共有することができていれば、やはりこうした事件は生じなかったかもしれない。ところが、現在の欧州諸国が実際にとっている政策は、それとは正反対である。新来の移住者どころか、古くからの移民やその子孫(国によっては、移民ではなく市民である人々)すら、社会の異物として扱われがちである。この問題については、次節で詳しく触れる。

(次の記事へ)

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by p-dragon | 2017-03-22 18:14 | 声明・情報・考察  

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